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2017年08月30日
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函館の消火栓が黄色い理由。

全国的には赤い消火栓が主流ですが、函館の消火栓はなぜ黄色いのでしょうか?

その理由について、私が見聞した内容をご紹介します。

黄色い消火栓。それにはアメリカが関係していたのです。

昭和5年国勢調査概況によると、当時10万以上の人口がいる全国の都市ランキングで函館は第10位の197,252人。ちなみに第一位は大阪市の2,453,596人、第二位は東京市2,070,529人。開港都市として諸外国との交易で栄えた函館には多くの人たちが暮らしていました。

ところが、現代と違って鉄筋コンクリート造などの耐火建築物が無かった時代に、人々を悩ませたのが火災でした。

 

明治元年から昭和9年までに100戸以上を焼失させた大火は延べ26回。最大規模は昭和9年3月に住吉町から類焼し24,186戸を焼失させた函館大火です。当時の函館全域の家屋戸数は42,200戸余りでしたから、焼失した家屋は全体の57%にあたります。市内にあった家屋の半数以上が焼けたわけですから、その規模は想像を絶します。海に囲まれた函館山の麓周辺では、その地形柄、特異な風が吹いたのかもしれませんね。


聞くところによると、昭和9年の大火をきっかけに防災都市函館を目指すべく、北海道大学から派遣された教授一行がアメリカに渡り研究視察。アメリカでは黄色の消火栓が使われているためそれを模倣したことによるものだそう。



この消火栓は、写真の通り、三方向に送水口がついているため、取水能力が高く大量放水できることが特徴です。材質は鋳鉄製で、現在も村瀬鉄工所(昭和1丁目34-1)で作られています。

 

函館の消火栓は、なぜ黄色いのか。

1973年にアメリカでヒットしたポップス「幸せの黄色いリボン(Tie a Yellow Ribbon Round the Ole Oak Tree)や、1977年に山田洋次監督の邦画「幸福の黄色いハンカチ」の題材に使われるように、黄色は光や太陽をイメージさせてくれる色、そこから派生して幸せや平和を連想させてくれる色なのかもしれません。

それは、昭和9年の函館大火のような大災害を二度と繰り返さぬよう、アメリカにまで渡った先人達の想いが詰まったものなのでしょう。

 

この記事を書いた人
藤原 滋己 フジワラ シゲキ
藤原 滋己
ハウスメーカー勤務時代に、木造住宅の工事監督のちに住宅・アパート・店舗・寺院など様々な建築物の営業を経験しました。建築不動産の営業歴は通算22年。 安心かつ安全な不動産取引のために、これまで培ってきた知識や経験・ノウハウを、お客様へのサービスのために全力で提供します。遠慮なく何でもご相談ください。きっとお役に立ちます。
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