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2018年05月06日
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対岸の竜飛岬が一望!青函トンネル メモリアルパーク|松前郡福島町館埼

現在、JR東日本とJR北海道では青函トンネル開通30周年記念キャンペーンを行なっていますが、青函とンネル開業から早30年。ここは、昭和62年に本州と北海道を結ぶ「青函トンネル」の完成を記念して工事跡地に造成された記念公園「青函トンネルメモリアルパーク」です。また、同地は駆逐艦柳応戦展望の地であり、町民有姿の方々により建立された駆逐艦柳平和記念塔も設置されています。

青函隧道建設記念の碑

難しい漢字で書かれていますが隧道(ずいどう)と詠みます。この場所は青函トンネル工事の事務所や寄宿舎が建てられていた場所です。工事中に犠牲にあった方々や多くの人々の苦労を偲んだ記念碑です。北海道と本州をトンネルでつなぐイメージをデザインした石のオブジェが飾られています。
 

碑文には次のように記載されています。(以下引用)昭和三十九年、ここ吉岡の地で、青函トンネル建設の第一歩となる調査斜坑の掘削が、日本鉄道建設公団により開始された。以来、大出水、軟弱な地層等を克服し、二十四年余の歳月をへて青函トンネルは完成し、津軽海峡線として昭和六十三年三月開業した。ここに、北海道と本州は陸路で結ばれたが、これが国土の一体化と日本の発展に大きく寄与することを願い、建設記念碑を建立する。 昭和六十三年七月
津軽海峡線 工事関係者一同

駆逐艦柳応戦展望の地と平和記念塔

青函トンネルメモリアルパークの一角に、ほかにも石碑が設置されているので「何だろう?」と思いながら近づいてみると、「駆逐艦 柳 応戦展望の地」と「駆逐艦柳平和記念塔」の石碑。



以下、石碑に記載されている内容を引用します。

碑文

昭和20年7月14日早朝、月崎沖合約500Mから慕舞(白符3)沖合約800Mの海上で、アメリカの艦載機10数機と日本の駆逐艦柳とのあいだで空も破れるような激しい交戦がありました。そのときアメリカの艦載機が3機落とされました。しかし、柳も艦尾を爆弾でやられ60名の負傷者と21名もの戦死者を出しました。当時の町民は攻撃がまだ続くと予想される恐怖と不安のなかで、負傷者の救援に務め戦死者をだいじに弔いました。

 また漁船4そうを出して柳の曳航作業にも手助けをしました。そして、その交戦の様子を見聞きしていた人や、日夜救護にあたった人、戦死者を弔いました人、監視所で役務についていた人、柳の曳航に力をかした人など、64名の同志が会を設立し、国を守り町民を守るために勇猛果敢に戦った戦死者の霊を慰め、後世にこの事実を正しく伝え、永遠の平和を願って記念塔を建立することになりました。
 

平成三年四月
建立委員会

 

この青函トンネルメモリアルパーク、そして駆逐艦柳応戦展望の地である高台公園には駐車場や公衆トイレも設置されています。

白樺やハマナスが植えられた広場では、晴れた日には青森県竜飛岬が見えます。

この記事を書いた人
藤原 滋己 フジワラ シゲキ
藤原 滋己
ハウスメーカー勤務時代に、木造住宅の工事監督のちに住宅・アパート・店舗・寺院など様々な建築物の営業を経験しました。建築不動産の営業歴は通算22年。 安心かつ安全な不動産取引のために、これまで培ってきた知識や経験・ノウハウを、お客様へのサービスのために全力で提供します。遠慮なく何でもご相談ください。きっとお役に立ちます。
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